阪神淡路大震災の青木地区の対応
(この震災に被災された方々には心からお見舞い申し上げます。また早く復興されることを御祈りいたします。)
(また、救援活動やご支援をして頂いた方々には心よりお礼もうしあげます。 まだまだ復興中です。)

平成6年1月17日朝の青木駅前の商店街です。時計は5時46分で止まっています。地元の青木消防団が駆けつけ消火活動をしています。しかし1台だけでは消火しきれず、右写の右側には商店街と市場が本来あるのですがすでに焼け落ちています。消火栓の水がなく、500M南の海よりホースを引いています。幹線の国道43号線をホースが縦断するため、自動車によるホースの痛みが激しく、十分な水圧が得られませんでした。後に市消防署の消防車1台が加わり、水路の中継に入りましたが、商店街・市場と南の区画が焼け落ちました。

(被害)
震災直後東灘区では、死者1268人(人口約19万人)、約150人に1人の割合で死者がでました。ほとんどは、古い家屋の倒壊による圧迫死です(青木・西青木地区で75人。約80人に一人)。
阪神青木駅南の市場や商店街は火災の為焼失しました。幸いなことに火災による死者はありませんでした。
古い木造(特に文化住宅)や、高層住宅でも1階が駐車場で吹き抜けとなっている高層住宅やマンションはつぶれています。 一般の低層公営住宅はすべて残っていました。避難所となっていた小・中学校も老朽化のため新しい体育館や運動場、公園などが避難場所となりました。 青木文化センターも臨時避難所となりました。

(震災後の対応)
青木文化センターが青木地区対策本部となり、連合自治会長がその指揮をとり行政並びに公共機関との連絡窓口となりました。
青木消防団は、消火活動後は地域治安の維持、救護活動(遺体安置も)・救援活動にあたりました。3日後ぐらいから、救援物資が届くようになり、避難所となった青木文化センター(当初、避難者400人)のみならず、公園や各家庭にも救援物資を連合自治会傘下の単位自治会をとおして約2千所帯(5千人)の食糧を調達いたしました。 また被害のひどい隣接地域の一部も救援対象地域にくわえました。
また個人運営の医療機関が被災又は閉まってしまい、困りましたが(自宅と医院が同じ所が少なかった)、当センター近くの医療機関の先生に連絡をとり、遠方から来ていただき、看護婦もそろい、医師の指導のもと、地域住民の手で医療設備等の復旧に勤め、医療活動も出きるようになりました(特に外科・内科といった医療は重要です:瀧口クリニック様には心よりお礼申し上げます)。
震度7烈震の当地区での電気の復旧は1週間位(早い方で)、水道は2ヶ月半位、ガスは3ヶ月以上かかりました。
救援物資の分配は一ヶ月毎に段階的に減らしていき復旧の早い所帯から自立していただきました。 夏場になり食品の保存・衛生に問題が出て大型冷蔵庫を館内に設置しました。 最後は福祉対象所帯並びに避難者のみ(震災後三ヶ月)となり、七ヶ月後には避難者も仮設住宅や賃貸住宅に転出しました。
(救援弁当の例)
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震災数日後に届いた食料の例です。全員にわたる訳もなく体力の無いかたか らお配りしました(パンの時もあります)。その後、数の問題もなくたって きました。 |
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2週間目ぐらいから、市販の弁当のようなものが届くようになりました。 あと缶詰・缶ジュースなどの飲料水や缶詰フルーツ、おやつなどが届きまし た。朝パン、夕方弁当という配給です。 |
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40日くらいから、カロリーなども考慮され、すこし立派になりました。写真 は3人分(弁当は3つ重なっています)です。 ただし成人病の方はおかずに 注意してください。 血糖値などあがり病気が悪化する場合があります。他に 野菜サラダ・生のくだものも支給されるようになります。 |
(感想)
○当地区は普段から自治会活動を通じて、地区の所帯数を把握しており(約二千)それに2.5倍すれば人口がだいたい出ますので、救援物資の数を言って各種団体に請求できるようになります。
○普段より自治会活動を通じて行政と太いパイプを持てる人を数人作っておくと、たとえその1人が被災しても代わりの人が行政と連絡をとることができます。 また行政側も救援団体より直接救援物資を送り付けてくれるようになりますので(信用してもらえる)、救援活動が円満にいきます。(普段からの地域活動において、行政に要請するだけででなく、行政から依頼があればできるだけ協力しますと役所の担当者と懇意になり、非常事態でもアポイントが取れるようになれます→結構効果的です)
○避難所での対応ですが、これも日頃からの付き合いが物をいい、お互いに信頼しあえば、避難者も自ら救援物資の分配をするようになります。 決して強制してはだめです。出来る余裕のある方にしていただければいいのです。 またあまり物でも廊下などに自由に取れる状況にしておけば、必要以上に取りません。当然身勝手な行動に出られる人もいますが、まわりから注意されますのでたいしたトラブルにはなりませんでした。 また自分のこをは自分でするので、避難者の自立も早いです。当避難所では外部からのボランティアは0人でしたが、医療機関の援助は受けました、特に健康状態の悪い高齢者が多かったので、ずいぶんとたすかりました。 しかし、長期にわたる避難所生活で病が悪化して亡くなられた方が数名ありました。
○また当初、食料・水といったものも大事ですが、生活水もなくなりますので、トイレ関係の処理が不可能です。施設ではビニール袋・新聞紙など最初から用いて処理をしてください。臭いや衛生に問題がのこります。 特に夏季に震災があった場合、食料を含め衛生・健康状態に配慮する必要が多分にあると思います(行政の方で最悪のシュミレーション結果を具体的に住人にあらかじめ示す必要があると思います。都心では非常に困難を極めるのではないでしょうか)。
(個人的準備)
○取りえず3日分の食糧と水を確保しておきましょう。
○メガネの人は寝るときには必ずハードケースにいれましょう。 ケースにいれておけば重い家具が倒れてもメガネは壊れません。 また入れ歯も同じようにしてください。 いずれもなければ震災後の活動に支障があります。
○成人病などの持病のある方は、医者からもらっている常薬があまれば保管しておきましょう。大きな震災の時は1週間以上医院などが開かない場合があります(この時には役にたちます)。 開業しはじめた医院に薬を持っていけば相当品が入手できます。
○震災直後の自動車での移動は、建物到壊や道の損壊、渋滞などで不可能です。 むしろ単車は、食料の買い付けなどに威力を発揮します。