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神戸奄美研究会
「キョラ」
キョラ6号・編集通信 no.2



2001年となりました。

キョラ6号の編集が進んでいます(少々、遅れ気味ですが)。号を重ねるごとに、キョラにかける、執筆者や読者の皆さんの期待が熱く伝わってくるのが分かります。

去年の秋には、 6号の特集の「奄美はどこにあるのか」にすると書きましたが、特集内容を変更します。巻頭に座談会を掲載します。出席者は、川村湊氏(文芸評論家)、目取真俊氏(小説家)、前利潔氏(沖永良部・知名町勤務)。司会は大橋愛由等が務めています。テーマは、「溶解する記憶と記録の境界」。

座談会は、去年10月に沖縄で行いました。現在、編集の途中です。
6号は、多くの優れた原稿が寄せられています。3月末発行にかけて、これから編集が詰まっていきます。発送は4月になると思いますが、余裕があれば、随時ここに「編集通信」を書き込みます。読者の皆さんは、編集過程さのものも楽しんで下さい。
                                     (2001.02.10記)


         
[  神戸奄美研究会『キョラ』第5号 目次  ]
特集 再考/琉球弧・ヤボネシア

 ■ 琉球弧を読み直す   大橋愛由等
(この画面の下に掲載しています。「読者諸氏へ」の次です)

  ■対談「複眼の琉球弧」 前利潔 高良勉 

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 ■新会員 大山勝男「奄美二世として生きる そして沖永良部島のこと」
■聞き書きシリーズB川渡健二氏(住用村西仲間)に聞く 聞き手・元正章

 ■奄美現存古語注解  編輯・茂野幽考 監修・茂野洋一
 ■島唄と蛇皮線 米川宗夫/105

連載
■本田徹夫 小説「水天宮物語」
■新元博文「自然権訴訟と奄美」
■前田昭人「T神の子Uとキリスト教」
 

奄美に生きる
   ■くらしの中の祈り  西田テル子
   ■トーテンポールの流れる木 西村仁美
   ■奄美で暮らした十年間  森俊介

■読者諸氏へ(『キョラ』第二期スタートのお知らせ・すぐ下に掲載しています。読んで下さい) 
      ■西田テル子写真館     
 

奄美紀行
   ■香味うれしい九年母=海南ミカン紀行  
                                            尾竹俊亮
 ■私の奄美紀行 永江俊昭
  ■一九九九年琉球弧紀行 満開の緋寒桜の花の下 
                奄美ノート4 大橋愛由等
 

定価880円+税金


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 読者諸氏へ
(キョラは、第6号から、第二期をスタートさせます)
 ここに『キョラ』5号をお届けします。

 今号も発刊が遅れてしまいました。読者諸氏におわび申し上げます。
 阪神・淡路大震災の翌年(1996年)に発足した神戸奄美研究会の第一期の活動は、今号の発刊をもって、終結いたします。

 世紀末の最後の1年でありながら、新たな千年紀の始まりという、終焉と始動という両極端が共存する2000年に、われわれの活動は一区切りを迎えます。

 この五年間、『キョラ』発刊を中心に活動してきたわれわれに対して、読者の皆さんから多くの暖かい支援を頂きましたことに感謝いたします。24頁でスタートした本誌も200頁を超えるメディアに成長。会員の原稿以外に、奄美内外から原稿を頂くようになりました。また、地元関西を初め、奄美、沖縄、鹿児島のマスコミに紹介され、多くの出会いが生まれました。

 第一期の活動を振り返る時、もっとも印象に残ったのは、1996年に神戸市須磨区で起きた小学生連続殺傷事件に出会ったことです。“犯人”とされる少年Aの両親が共に奄美出身であることで、少年Aの犯罪の原風景を奄美の民俗・風土に求めるという東京発の雑誌記事が掲載されました。この記事には、存在しない猟奇的な民俗行事を捏造するなど、およそノンフィクションとは言えない手法で「奄美のことなら何でも書き放題」といった態度が露骨な内容も含まれていました。われわれは著者に質問状を送付すると同時に、奄美の有志と連携して、著者ならびに出版社に対して抗議行動を展開。その経緯については、4号の特集『語られた側から語りかえす』にまとめています。

 この事件は解決していません。どうして「奄美のことなら何でも書き放題」といった記事内容が繰り返し書かれるのかという本質を捉えないと、また同じような内容の捏造記事が書かれるのです(実際、そうした内容の“文学作品”も登場しています)。われわれ神戸奄美研究会は、引き続きテーマとしていきたいと思っています。

 5号を編集するにあたり、こうした大きなテーマを扱うメディアとして、また神戸に生まれ育ったわれわれが、震災を機に、奄美を切り口として、この国の近代のありかたを問うというメディアとして、『キョラ』はこれからも有効ではないかと考えました。

 そこで、神戸奄美研究会はひきつづき第二期の活動として、2009年まで『キョラ』を刊行することにしました。この2009年とは、薩摩の琉球侵略(1609年)からちょうど400年後にあたます。奄美では2009年を迎えるにあたり400年間このかたの奄美を総括し、次代の奄美像を構築していこうとする動きがあります。われわれはこの動きに同調することで、活動を継続し、『キョラ』を刊行し続けていこうと考えています。1609年といえば、ようやく近世が始まった時でもあり、400年というスパンで奄美・琉球弧そしてこの国のあり方を考えるというチャンスを与えられたのです。

 幸い5号からわれわれは新しい会員・大山勝男を迎えることが出来ました。第二期は、神戸にいる会員だけではなく、琉球弧ならびにヤマトの友人とともに誌面づくりをしていきたいと思っています。

 読者の皆様におかれましては、引き続き、われわれ神戸奄美研究会の活動に対して支援と声援ならびにお叱りの言葉を賜りますようにお願い申し上げます。
 

          2000年3月 神戸奄美研究会     大橋愛由等
                                                大山勝男
                                                                                       野村昭彦
                                                                                      元 正章
 
 
 

キョラ5号特集・前書き--------------
《琉球弧を読み直す》

大橋愛由等

 阪神・淡路大震災の後、テレビ・ニュースを見ていたら、経済アナリストが、神戸経済の機能不全によって、日本経済に与える影響を予測していた。神戸経済は、日本の総生産(GDP)に占める割合は1%だそうである。テレビの画面ではそれ以上のことは言及しなかったが「このような直下型地震が東京を襲えば日本経済に与える影響は甚大だが、1%の神戸が壊滅しようと日本経済には殆ど影響はないだろう」といった冷酷な事実がコメントされているような気がした。

 そうか1%か。
 神戸(経済)はたった1%の価値しかないのか、とテレビのスイッチを切った。わたしの家の周囲三六〇度みわたす限りの範囲で拡がっている何十万人の悲惨は、この国では「1%の悲劇」なのか。わたしにタバコを吸う習慣があれば、一服したいところだった。ふうーと大きなため息を最初の煙と共に吐き出すために。

 当時のわたしは(現在のわたしもまた)、テレビで告げられた神戸経済の実力指数と、神戸そのものの価値を混同しているため、「1%」という数字を誤読していることは分かっている。
 やりきれなさが、深く残った。今でも「1%」の数字が頭を離れない。

 震災から五年がたった。未曾有の不況の影響もあって、神戸と神戸に住む人たちは、いまだ元気がない。一九九八年から九九年にかけて、神戸でも経済不況が原因と思われる多くの自殺者が出た。わたしもあやうくこの二年間の自殺者統計の数値に貢献するところだった。近代という国家機能が集権化しているシステムの中では、神戸はいつまでも「地方」であり続ける。中央から施しを受ける身であり 全きの主体になることはない。
 
 琉球弧について考えた。

 ここはかつて南西諸島というドライな地理学用語で区分され認識されていた。そして日本本土にとっての「南島」である。島尾敏雄は、奄美・沖縄・宮古・八重山の島々に琉球弧という名を与えた。新しき名を獲得すると、まるで春の芽吹きのように、島々に新たな生気が通い、一体感のある地域として認識され、島々の主体が始動し始めた。国家の座標軸の中心は東京や大阪だけではないことが確認された。琉球弧、そしてヤポネシアという呼称は、沖縄の若きイデオローグたちに迎え入れられ、思想の武器となっていった。

 いまこの琉球弧が二つの意味で問われている。

 ひとつは、琉球弧・ヤポネシアの発想は一体だれのためのものだったのか、ということ。
 琉球弧という言葉と概念が島尾から付与されることによって、奄美・沖縄・宮古・八重山の主体が立ち上がる土壌は準備された。しかし本土に受け入れられた「琉球弧」や「ヤポネシア」は、一九六〇年代後半からの「南島」ブームが背景としてあった。当時、柳田国男がさかんに読み直しされている。吉本隆明もまた独自の「南島論」を展開する。

 柳田が「朝鮮」に挫折し「南島」に向かったその思想軌道の危うさが、「南島」ブームにもそのまま遺伝継承されているとの指摘がある。つまり柳田再読は、日本を相対化するための手段として受け入れられたはずであったが、「南島」を再読するということが、日本を補完するためのイデオロギーに転嫁してしまう危険性を孕んでいたのである。村井紀は「「南島」は、同質的な「日本」を固定するための微妙な差異として、またもっともリスクの少ない、安全な対象として固定されるのである」(『南島イデオロギーの発生』一三ページ)と指摘する。島尾のヤポネシアの発想もまた「南島」再読の一環として捉えている。琉球弧もヤポネシアも「日本」というシステムを補完する日本再構築の素材でしかなかったのではないか、という疑念である。

 今回の特集を組むにあたり、原稿執筆を見合わせた森本眞一郎氏は、その理由を説明する中で、以下のような内容を含むコメントを寄せてきた――「「日本列島社会」(網野善彦)と「ヤポネシア」と「琉球孤」のテーマは、島尾敏雄の「日本の国体」や「天皇制」を回避した地平からは、夢のような「相対化」しか像を結ばない、いわば、それらを補完し、強化するイデオローグとして機能している状況があります」(2000年1月26日付メール)。

 二つ目の問い直しは、歴史学からの問いかけである。

 琉球弧の発想と概念は確かに地域の一体性をもたせる役割を果たした。しかし今、歴史学研究の現場では、多様な琉球弧の姿が唱えられている。琉球弧の具体的な島々の様子を詳細に見ていくことで、一枚岩ではない琉球弧の島々の相貌をみていこうという態度である。

 奄美の歴史学研究は新たな局面を迎えている。文献・史料の絶対数不足がつねづね指摘されてきたこの研究分野に、奄美の周辺地域の文献を渉猟することで、少しずつではあるが、今までに明らかにされなかった奄美・琉球弧という地域を越えた交流の姿が実証され始めてきている。

 これらの研究は、奄美学を唱えつつも幅広い視点から奄美を俯瞰している山下欣一氏、今まで琉球弧の中に含まれなかった種子島・屋久島に伝わる文献を読むことで、盛んな物の交流史を追求する弓削政巳氏、奄美へ流された「遠島人」は薩摩ばかりではなく、琉球や公儀関係の遠島もあったことを明らかにしつつ奄美に「遠島人文化」があったことを言明している先田光演氏の仕事など、奄美の研究者によって進められている。これらの研究は一見島尾の琉球弧を否定しているかに思えるが、研究者に共通するのは、琉球弧の言葉と概念を咀嚼した上での新たな展開であることがわかる。

 琉球弧・ヤポネシアを巡る思想・研究環境は大きく変容している。今回の特集では、こうした知的位相を踏まえ、琉球弧を代表する思索家である高良勉氏と前利潔氏による対談を企画。いま琉球弧が抱えている問題点、課題、歴史の読み直し、そして将来への可能性について縦横に語ってもらった。高良氏は、ヤマトでは琉球弧ではなくヤポネシアに重点が置かれて受け入れられたことに対して再考を促している。また前利氏は、奄美の立場からそして沖縄(または名瀬)に琉球弧の中心が収斂しない「いくつもの琉球」のありようを提唱している。

 『キョラ』では、ヤマトからの視線やまなざしを介入させない琉球弧の住民による琉球弧論を提供することで、この地域が地域の住民によって今後どのように方向付けられていくのかを、読者の皆さんに伝えようと思った。

 そして神戸である。

 「1%都市」とその町の住民にも「1%の意地」がある。神戸とそこに住む住民が、島嶼地域である琉球弧とは違った地域の主体を確立させていくためには何をすればいいのか。われわれは震災の際、日本国家は日本国民を救わない、というテーゼを身にしみて経験した。まずは自分たちの足で立つことである。自閉ではなく、他者との交流を深めつつ、ひととひとを紡いでいくことから、神戸の新しい姿がみつかるような気がしている。
 


『キョラ』へのご意見、注文などは
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01
  *「キョラ」発刊の辞
 *「奄美はキョラサ島か」大橋愛由等
 *「私と奄美」高木伸夫   
 *「音楽でしる奄美・沖縄」野村昭彦
 *「神戸市民の表と裏、奄美の虚と実」元正章      定価350円+税金

02
 特集・奄美の戦後史[神戸篇]  
 *「1946年「非日本人」調査と奄美連盟・南西諸島連盟」高木伸夫  
 *「密航体験と戦後の奄美人――元神戸奄美会会長・指野秀男氏に聞く」元正章
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 *「一村まつり」佐竹京子          
 *「平田人気質」新元博文
 *「苦難の歴史を歩んだ与論島の人々」皆村武一       
 *「沖永良部島を表現した人々」前利潔
 *「薩摩の意思――翻弄された近代の奄美と兵庫県」〈奄美ノート1〉大橋愛由等
 *「シマウタ番組制作の現場から」野村昭彦
 *(連載エッセー)「愛しゃる奄美」前田昭人 
 *(連載エッセー)「シマで眺めた神戸」本田徹夫

           税込500円

03
 *[緊急提言]「少年Aの報道について」大橋愛由等
 *「奄美人とは」前利潔
 *「鼎談・奄美二世が語るわが奄美のルーツ」大山勝男、元正章、山下卓也
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   特集・奄美紀行   
 *「忖度の旅・1997・奄美紀行〈奄美ノート2〉」大橋愛由等
 *「奄美小旅行から帰って」高木伸夫  
 *「Sさんへの手紙(カナシャル・シマ奄美さまよい)」元正章

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 *「蘇鉄文化論の周辺から」新元博文 
 *「原琉球を演じる――里国隆の島唄」尾竹俊亮
 *「日本人・非日本人概念をめぐるノート」高木伸夫  
 *「密航体験の比岸と彼岸――中川成海氏(住用村城)に聞く」元正章
 *(連載エッセー)「手紙 S・みほ子様(シマそして神戸〜友への鎮魂を込めて)本田徹夫
         *「愛しゃる奄美」前田昭人
 *「3号編集を終わって(編集後記に替えて)」大橋愛由等、高木伸夫、元正章

             定価600円+税

04

 特集・「語られた側から語り返す」

  *記憶すること 読み直しをすること    大橋愛由等
  *少年Aをめぐる言説〜高山文彦の言説を中心に〜前利  潔
     ◎資料篇   【1】質問状(「新潮45」編集長と高山文彦あて)
            【2】「新潮45」九七年一〇月号(高山文彦記事から)
            【3】質問状の趣旨(箇条書きに要約)
            【4】「新潮45」と高山文彦からの回答状
            【5】桜井亜美への質問状
  *奄美のユタと風葬について         先田 光演
  *「バックトゥザフューチャー」(序論)    森本眞一郎
  *奄美から見た武士             新元 博文
  *奄美との出会い             新垣 邦雄
  *奄美の残照               元  正章
・・・・

  *「替え歌」について           野村 昭彦

  *聖なる島の聖なる旅           西田テル子
・・・・
《連載》   
  *古本屋さん               本田 徹夫
  *愛しゃる奄美 第三回           前田 昭人
・・・・
      
  *尊い絆、奄美と神戸           森 トミ子
・・・・
    
《紀行》  
  *初の奄美・演奏旅行         お〜まきちまき
  *北風にあらがいつ〈奄美ノート〉3     大橋愛由等

 税別880円


『キョラ』4号の発刊の趣旨
 
  神戸奄美研究会とキョラ4号の発刊

 少年Aの両親が共に奄美出身であることを「発見」し、少年Aの「犯罪」の猟奇性を奄美の風土に見い出すという言説が、東京発のジャーナリズムの中にあります。われわれ神戸奄美研究会と、奄美の良心的な人たちは、こうした少年Aの「犯罪」と全く関係のない奄美が、偏見と差別の対象にされることを黙って見のがすことは出来ません。

 そこで、神戸奄美研究会は、会報誌の『キョラ』4号において「特集・語られた側から語り返す」を組み、語られ、覗き見られ、好き放題書かれるといった「られた」立場からの「語り返し」を試みています。神戸奄美研究会は、阪神大震災のちょうど一年後、奄美二世や出版編集者等により結成された民間の研究会です。近代都市・神戸の発展と共に故郷から出て来た奄美の人たちの動向を追跡・記述することで、震災で壊滅した神戸という街をもう一度見直おそうという目的で、『キョラ』発刊を主な活動拠点としています。


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